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遍 柳一『平浦ファミリズム』 100万回の奇跡

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7月24日、ガガガ文庫から異色を放つ新たな物語とその作家がデビューを果たした。
それが遍 柳一氏と氏の著書『平浦ファミリズム』である。



異色といっても、何百冊という個性がひしめくライトノベル界隈で、
今日日生半可な個性など有象無象と大差ない。
ヒロインが人外なんて当たり前、
引きこもりのキャラクターなんて電話帳を埋め尽くせるレベルでいるし、
異能力モノなど並べてみようものなら、
それだけで太平洋を横断できるレベルで溢れかえっているだろう。



しかしこの作品はそれらとは一線を画す異色さを持ち合わせていると、私は断言できる。



世界観という言葉をご存じだろうか?



世界設定とも言いかえれるそれは、物語に必須の要素といえる。
東に魔法と冒険があれば、「それは異世界です」と説き、
西に剣の世界があれば、「それはオンラインゲームです」と述べ、
南に解せない異変があれば、「それは怪異の仕業だね」と囁き、
北に学園都市があれば「その幻想をぶち殺す」と宣う。

物書きの相棒にして縁の下の力持ち、
そしてラノベ作家の99割がこれを書くためにラノベを書いているといっても過言ではない存在。



もしラノベ作家の中に「そんな物に頼らなくても面白い物語は書けますよ(`・ω・´)」などと宣う輩がいるとすれば、
それは果てしない調査と研究を物語に落とし込むプロを超えた職人か、
相当な大嘘つきか、の2択ではなかろうか。



そして、この『平浦ファミリズム』の土台は特異な世界観によって形作られている訳ではない。
であれば遍 柳一氏は職人だろうか?
答えはNOである。
つまり遍 柳一氏は大嘘つき?
残念ながら、この答えもNOである。



何言ってんだコイツと思われたかもしれない。
私自身この記事を書きながらそう思ったのだから、その反応も当然と言える。
しかし、何故ラノベ作家が世界観というものにここまで依存し、傾倒しているか考えたとき、
私の意見の整合性と『平浦ファミリズム』の凄さをご理解いただけると思う。多分、



さて、というわけでラノベ作家と世界観の関係について語りたいと思うが、
ラノベ作家が文字通り喉から手が出る程欲しいものは何だろうか?
人によっては、寝なくても大丈夫な体や、スタバでドヤァするためのMacBook、
ひょっとしたら5000兆円かもしれない。
しかし、ラノベ作家全員に共通する物を1つ決めるとすると、
『使い勝手が良くてオリジナリティのある世界観』
これに尽きると思う。



それぐらいラノベ作家は世界観に依存している。
ただそれは、決して手抜きではなくて、
アクが強いラノベ業界で生き残るための適者生存の結果、そうなってしまった。
というのが正しい。



というのもラノベ作家が面白い物語を書くにあたり、
フィクションとして突飛な設定は必須だ。
だがやりすぎもよくない。
例えば「指先から10万ボルトの電撃を放つ女子中学生」というキャラ設定が考案されたとして、
そこにリアリティがあるだろうか?
否、断じて否。
そうなると物語は成立しない。
何故なら彼女は存在しない人物ではなく、
ありえない人物だからだ。
いくら脳内が年中無休お花畑のラノベ作家でも
医者が死人を救えないように、
ありえない人物の物語を書くことはできない。



しかしそこで『学園都市』という世界観を用いるとあら不思議、
あっという間に『御坂美琴』の出来上がりだ。



このように(一部の例外を除いて)ラノベはその特異な世界観無しに成立しない。



その1部の例外が『俺の妹がこんなに可愛いはずがない』
『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』に代表されるキャラ小説だ。
その作者らは特殊な世界観こそ用いていないものの、
現実世界のレーディングギリギリを攻めることで、
突飛な設定をリアリティのある物語にしている。
いわゆる大嘘つき、ラノベ界の陳 建民といえるだろう。
「私の中華料理少しウソある。でもそれいいウソ。美味しいウソ」
これは本場の中華料理をアレンジし日本に広めた氏の言葉であるが、
その精神は今日の日本にも息づいている。



話がそれてしまったので、そろそろ本題に戻ろうと思う。
『平浦ファミリズム』は特異な世界観を用いておらず、
また現実レーディング、いわゆるリアリティのギリギリを攻めたキャラ小説でもない。



しかし、作中の平浦家はライトノベルらしい突飛な設定を有しており、
読んでみると物語は破綻していないどころか、
なかなか面白い。



何故そうなっただろうか。
その理由は、氏の設定作りの手法にある。



それは人間の脳の仕組みを突いた、
ある種バグともいえる仕様を使った裏技だ。
それは平凡な設定を、リアリティを保ったまま、突飛な設定に進化させる魔法とも言いかえれる。
これからはその詳細を暴いていきたい。



突飛な設定とは一体何だろうか?
それは未知の設定とも言い変えれる。
しかし、現代はインターネットがあまねく張り巡らされ、
アニメ、マンガ、などのコンテンツが飽和した時代。
どれだけ探しても、どれも似た物が必ず有って、
未知の設定など1つもないように思える。



だが、人間の脳みそはそこまで進化していない。
当たり前だが、グーグルと人間は違うのだ。
その証拠に自分の記憶をOR検索できるだろうか?


OPAC検索説明画像


難しいと思う。
ちなみに私は出来ない。
その代わりAND検索は誰でもできる。
そしてAND検索の場合、
当たり前といえば当たり前だが
キーワードが増えるにつれて、該当する情報は減っていく。



勘のいい方はもう気付いたかもしれない。
そう、世の中に美少女と、オタクがそれぞれ一定数存在しても、
美少女オタクが都市伝説レベルでしか存在しないように
1つの平凡な設定も、10組み合わせれば、
それは読者から見て1つの突飛な設定になるとのだ。



実際、『平浦ファミリズム』を構成する設定を、1つづつ個別に書き出してみると、
どれも現実世界に実在しそうなレベルで平凡なものになる。
しかし、それを1つのまとまった文章に書きだしたとき、
その認識は180°変わるだろう。



これが、遍 柳一氏のマジックの全貌である。
しかし、この作品の魅力はそれだけではない。



それは作中全ページを通して感じられる作者の痛烈なメッセージと包容力だ。
微バレを恐れず言うと、これは常に勝ち続け、迷いなく目標に突き進む成功者のストーリーではない。
失敗と、苦悩と、決断との中に芽生えた、ほんの小さなやさしさと、勇気のストーリーである。




だからきっと私はこの本を読んだ日の事を忘れないだろう。
氏はあとがきで自分の文章がこのような形で読者に届いたことを1つの奇跡と述べている。
だが、その裏に氏の膨大な努力があったことは間違いない。
そして、諦めない限り奇跡は何度でも起こるのだ。
願わくば今以上の奇跡をもって続刊が出ますように。



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